あやなりBP

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【CROSS TALKS】文教大学経営情報専門学校は、こんな学校だった!

2023年7月掲載
太田 信宏(おおた のぶひろ)さん、
乳井 英太(にゅうい えいた)さん、
佐藤 三香さん(さとう みか)さん、
小堀 玲子さん(こぼり れいこ)さん

お話いただいたのは・・・

  • 佐藤 三香さん
    佐藤 三香さとう みか さん
    福祉団体事務職
    文教大学経営情報専門学校1996年卒業
  • 小堀 玲子さん
    小堀 玲子こぼり れいこ さん
    派遣社員事務職
    文教大学経営情報専門学校1996年卒業
    ※現在の姓は佐藤さん
  • 太田 信宏先生
    太田 信宏おおた のぶひろ 先生
    文教大学健康栄養学部教授
    1986年〜1995年文教大学経営情報専門学校教員
  • 乳井 英太さん
    乳井 英太にゅうい えいた さん
    文教大学大学事務局国際交流部部長
    1990年〜1995年文教大学経営情報専門学校職員

1985年に開校し、1998年に幕を閉じた文教大学経営情報専門学校。ビジネスの場で役立つ技能と一般教養を兼ね備えた女性の育成を目指した本校について、当時の教員、職員、学生の方にお集まりいただき語っていただきました。

文教大学学園ならではの特色あるカリキュラム

乳井

今日は懐かしい顔ぶれがそろいました。お集まりいただき、ありがとうございます。

佐藤
小堀

周辺が変わってしまい、ちょっと迷ってしまいました(笑)

太田

本当に久しぶりです。この校舎は変わりませんが、周りが随分変わりましたね。

乳井

この4人の中で文教大学経営情報専門学校(以下:経営情報専門学校)に一番長く在籍したのは太田先生ですね。

太田

1986年から1995年まで教員として在籍していました。もともとコンピューターを扱う会社でSEやプログラマーの仕事をしていたのですが、経営情報専門学校が開校し、パソコンやコンピューターに詳しい教員を募集しているというので転職しました。これまでに教員経験はなく、思い切った選択でした。

乳井

入ってすぐに担任を持たれたとか。

太田

はい。今でも忘れられないのは、フレッシュマンキャンプで初めてホームルームというものを任されたときのことです。30数名の女子学生を前に何を話せばよいのか。極度に緊張したときのことは、今思い出してもドキドキします。これが私の教員としての原点ですね。

太田

乳井

経営情報専門学校には新入生のためのオリエンテーション合宿があって、箱根や御殿場に行ったんですよね。

佐藤

私たちの時は御殿場で1泊2日でした。授業や資格取得の説明などがあって、必死にメモをとっていた覚えがあります。

太田

クラスごとに出し物をした記憶があるのですが、覚えていませんか。私は二人羽織をやらされて(笑)

小堀

私たちの頃は、出し物はなかったです。本当に入学してすぐの合宿で、ほぼ初対面のクラスメートたちと朝までおしゃべりしていて、これをきっかけに仲良くなりました。

乳井

フレッシュマンキャンプは、親睦を深めてもらうという目的もあって実施していたものです。そのほかに翔華祭やスポーツ大会、研修旅行などもあって、付属の短期大学と変わらない行事が用意されていたのは経営情報専門学校の特徴の一つですね。

よく勉強し、6〜7つの資格を持つのは当たり前

佐藤

クラス担任制というのも、経営情報専門学校の特徴だったと思うのですが、何かあったときに担任の先生に相談できるというのは心強かったです。例えば夏休みや冬休みなどの長期休暇でも、課題や検定試験の勉強のために学校に来ることがよくありました。パソコンやワープロの実習室を使いたいのですが、担任の先生に言っておくと開けておいてくれるなど、とてもありがたかったです。

小堀

私はパソコンを触ったこともなく入学しましたので、ワープロを前にして「どこを押したらいいの?」という感じで。それを見た担任の先生が「下校時間の19時まで実習室を使っていいですよ」とおっしゃってくださり、1年間は友人と2人でひたすら練習しました。

乳井

どの学生もよく勉強していましたね。

太田

そうですね。検定試験や国家試験を目指して、どの学生もがんばっていました。6〜7つの資格を持って卒業するのが普通ではなかったでしょうか。

佐藤

振り返ってみるととにかく忙しくて、あっという間の2年間でした。勉強して検定試験を受けて、また勉強して検定試験を受けて。でも勉強だけでなくて、その間には翔華祭やスポーツ大会もあって、内容の濃い2年間だったなあと思います。

佐藤

小堀

私は東海道線で通っていたのですが、茅ヶ崎から品川までの50分、ずっと教科書を読んで通学していました。簿記の検定試験の前は、電車の中で電卓を出して勉強することもありました。

太田

東海道線!?座れないでしょう?

小堀

はい。混んでいるなかで教科書を開いて、立ったまま電卓を叩いて(笑)。電車通学も初めてでしたので具合が悪くなってしまうのですが、家に帰って勉強する時間がないので、とにかく通学時間中に勉強しないと…という感じでした。

佐藤

私も1日24時間では足りない!と思っていました(笑)。でもそのおかげで、今があるんですよね。

太田

教員1年生だった私も同様ですよ。コンピューターの仕事をしていましたのでプログラミングなどの知識はありましたが、それをどう教えるかは違うスキルが求められます。毎日試行錯誤して、講義ノートをつけながら勉強したことで、今があるのだと思っています。

今も仕事ができているのはこの学校のおかげ

乳井

私は大学の事務局から異動になって経営情報専門学校へ来たのですが、専門学校でありながら心理学や経営学といった一般教育科目があり、真面目に取り組む学生が多い。就職率もよくて、日本銀行など一流企業に就職が決まる。経営情報専門学校はすごい学校だと思っていました。

乳井

太田

80年代半ばから90年代の前半は、上場企業に行くのが当たり前みたいな時代がありました。学生の評判もとてもよくて、企業から「お宅の卒業生をぜひ採りたい」という声をよく聞きました。

佐藤

私たちの世代は就職氷河期と言われる時代で、掲示板に求人票がまったく張られていなくて…。

太田

そうでしたね。

佐藤

結局私は、就職せず派遣社員として働きました。銀行などの一般企業や水質検査など特殊な職場もありましたが、パソコンが普及していない時代にブラインドタッチで入力することはできましたし、表計算ソフトを使いこなすこともできましたので、どこの職場に行っても困ることなく仕事ができました。

小堀

私は総合商社に就職しまして、簿記の資格を取っていましたので経理に行きたかったのですが、面接してくださった方が「この子は経理よりも営業が向いている」とおっしゃって営業事務の仕事に就きました。正直残念な気持ちだったのですが、電話の応対やお茶出しなど、秘書実務の授業で習ったことがそのまま役に立ちました。またパソコンで資料を作成することも難なくできますし、同期入社女性4人のうち3人は大学卒業で専門学校出身は私だけだったのですが、部長や専務に一番かわいがってもらいました。

佐藤

佐藤

秘書実務の授業は必ずスーツにヒールの靴。実習室には鏡があって、歩き方の指導もありました。この年になっても働くことができているのは、本当に経営情報専門学校で学んだからだと思っています。私は在学中に簿記の資格を取らなかったので、現在2級を目指して勉強しています。いくつになっても勉強は必要。そう思って挑戦しています。

小堀

実は私は、文教大学の教育学部へ進学したかったんです。そのことを卒業後、越谷キャンパスで大学の教授にお話しする機会があったときに、「君は文教大学の卒業生だよ。いつでもこのキャンパスに遊びにおいで、待っているよ」と言ってくださいました。その言葉がとてもうれしく、経営情報専門学校の卒業生でよかったと心から思っています。

太田 信宏(おおた のぶひろ)さん、
乳井 英太(にゅうい えいた)さん、
佐藤 三香さん(さとう みか)さん、
小堀 玲子さん(こぼり れいこ)さん