お話頂いたのは・・・
2004年に文教大学を退職された松澤信祐先生を迎え、大学の教え子であり、大学、付属中学校・高等学校、付属小学校で文教大学学園の教育に関わっている三人の先生にお集まりいただき、「文教への思い」について語っていただきました。
近藤
:
今日は2004年に文教大学を退職された松澤先生を迎え、三世代、といっては語弊があるかもしれませんが、松澤先生の教え子で教育学部を卒業して母校の教員になった近藤、松澤先生と近藤の教え子で現在付属中学校・高等学校教諭の五十嵐先生、近藤の教え子で付属小学校教諭の木村先生にお集まりいただきました。
松澤
:
僕は40年間文教大学に勤めました。大学院を出て、ありがたいことにいくつかの大学からオファーをいただきましたが、私学で初めて教員養成を行うというので、ここへ来たんです。
近藤
:
当時は共学になったばかりですか?
松澤
:
立正女子大学から文教大学と名称が変わった年で、教育熱心な先生方がたくさん揃ってスタートしました。
近藤
:
僕はその4年後、1981年に入学しました。
松澤
:
近藤君の印象はとにかくまじめ。彼は卒業して筑波大学の大学院へ行き、その後山形県の鶴岡工業高等専門学校に勤めたのですが、僕は鶴岡まで彼を迎えに行った。真剣に教育の未来を考えている彼のような人材が、文教には必要だと思ったんですね。その彼が学長までやってくれて、誇りに感じています。
近藤
:
まじめだなんて言わないでください。知り合いたちに叱られます(笑)。先生は、鶴岡に来てくださる前に僕の実家に電話をしてくださっているんです。「息子さんを文教大学で雇ってもいいですか」と。僕は一人っ子で岐阜県に両親がいたので気にしてくださって。越谷は山形より岐阜にとても近いんですが(笑)。
五十嵐
:
僕は近藤先生から付属中学校・高等学校の採用試験があるから受けてみないかと声をかけられて、現職に就くことになりました。
木村
:
私も直接ではありませんが、教員になることができたのは近藤先生のおかげです。こんな私が教員になってよいのか自信がなくて、それを近藤先生が「大丈夫」と背中を押してくれました。
近藤
:
木村先生は1年目が講師採用で、その後専任教員になったんだよね。その年の採用名簿の中に彼女の名前を見つけた時は、本当にうれしかった。感動しましたよ。
木村
:
私はギスギスした生活環境の中で育ってきて、ちょっと問題のある人間でした。それが文教に入って、近藤先生や友人たちのやさしさに触れて更生されたんです。私が小学校の教員になるなんて、私自身が驚いています。
松澤
:
思い返すと僕は、ほぼ毎日学生たちと飲んでいた気がします。学生たちに聞いても思い出話は、講義やゼミの内容ではなく「先生と飲んでばかりいた」という話(笑)。
近藤
:
僕が学生の頃は全国から学生が集まってきて、北越谷に下宿していました。下宿の窓から見ると何人かの先生がいつも酔っ払って歩いている(笑)。
松澤
:
昔は北越谷に飲み屋が二軒しかなくて、どちらかに顔を出すと必ず誰かがいて飲み会になりました(笑)
木村
:
私の頃はみんながもう少し近隣に散らばっていて、自転車で集結するイメージですね。
松澤
:
先生と学生の距離が近いのは、僕たちの頃と変わりませんね。教え子は宝物です。僕は常に自分の子どもと同様に学生に接してきましたし、将来教員になる学生たちにも、自分の教え子たちにそのような気持ちで対してほしいと願っていました。
五十嵐
:
今日先生のそのお言葉を聞いて、「そうだったのか」という思いです。これまで特に「教え子を自分の子どものように考える」といった言葉で指導があったわけではないですが、自分がそうした環境で育ったから教え子に同じことができているのですね。職場を見ても、どの教員もとことん生徒たちの面倒を見ようという姿勢があります。
木村
:
付属小学校は先生と子どもの距離が近くて、家族っぽい。大学の雰囲気と似ているなと思う時があります。大学時代、「なぜ先生たちは、あんなに学生のためにやってあげられるのだろう」と思っていましたが、小学校の先生方もまさにそうした感じです。
近藤
:
入試の時に推薦の書類が来ますね。特記事項の欄に「特になし」と書いてあることがある。ところが松澤先生はそれをご覧になると、「どうして特記事項がないんだ」と怒り出す(笑)。
松澤
:
そうでしたか?(笑)。僕は公立の高等学校で教えていたことがあるので。
近藤
:
生徒のことをきちんと見ていれば、「ここには書き切れないくらいのことがあるはずだ」とおっしゃるんですね。僕は「学生にかける時間と労力とお金を惜しんではいけない」と松澤先生から学びました。そういう先生たちが文教にいらしてくださったおかげで、今の文教大学学園があるのだと心から思います。
松澤
:
退職して20年近くになるのに、「育ての、文教。」というポスターの撮影に呼んでいただき、近藤君と木村先生と出させていただきました。うれしくて、ポスターをうちにしばらく貼っていましたよ。
近藤
:
「育ての、文教。」は僕が学長の時に、「時代と社会と文化と、人を育てる大学である」という意味を付与して文教を紹介する言葉として多用しました。文教は、私学で最初に教員養成を行った学校です。また、日本で二番目に人間科学部を設置し、初めて情報学部を創設したのも文教大学です。つまり、時代と社会と文化、そしてそこに貢献する人を「育てる」ことを「実現」してきた大学なんですね。
松澤
:
教育の文教ではなくて、育てる文教ということですね。
木村
:
付属小学校では「育て」という言葉はあまり使いませんが、建学の精神である「人間愛」をよく使います。「卒業した子どもがいつでも帰ってこられる故郷のような学校にしたい」と校長先生がよく話していらっしゃって、それが人間愛の一つの形なのかなと思っています。
五十嵐
:
確かに付属小学校から進学してきた生徒は、よく小学校へ遊びに行っていますね。
木村
:
また、勉強以外に体験学習の機会も多く設けていますが、それは子どもたちが社会に出た時の力になるようにという考えからです。
近藤
:
まさに「生きる力を育て」ているわけですね。
五十嵐
:
付属中学校・高等学校も「人間愛」という言葉をよく使って指導しています。具体的には生徒たちに、愛を与える側になりなさいと伝えていて。自分ができることを相手にして差し上げる、「ありがとう」をきちんと伝える、そういうところから始まって、あたたかい気持ちでつながったクラス、学年、学校をつくっていこうと話しています。それが結果としては「育て」につながっていくのかな、と思います。
近藤
:
40年前の文教大学は越谷キャンパスしかなくて、狭いキャンパスに先生と学生があふれていました。そこにはお節介なくらいのふれあいがあふれていて、ムーミン谷のような日常がある大学でした。そこから文教スピリットが培われていったのだと思います。その種が確実に芽吹き、学園全体に育っているのを感じます。
松澤
:
僕の大好きな文教が、僕の想像以上に育っていることが誇らしく、本当にうれしいです。今日はありがとうございました。
一同
:
ありがとうございました。