【CROSS TALKS】学生の生きる力や個性を育てる文教大学に

お話いただいたのは・・・



文教大学の卒業生である真藤順丈さんの直木賞受賞作『宝島』が、妻夫木聡さん、広瀬すずさん、窪田正孝さん、永山瑛太さんらを擁して映画化、2025年9月に公開されます。それに先立ち、真藤さんと恩師である文学部日本語日本文学科の寺澤浩樹教授、宮武利江学長が鼎談し、文教大学について大いに語り合いました。
──大学時代の真藤さんと寺澤先生とのエピソードを教えていただけますか。
寺澤
:
真藤くんが1・2年生の時は彼が選択した授業の担当教員として、3・4年生の時は私のゼミ生だったので、結局、彼の在学時はずっと彼のことを見ていたことになるのかな。
真藤
:
真面目じゃなかったですけど、大学時代は人生で一番本を読んだ時期でした。高校時代はなんでも読み漁っていましたが、大学に入ってからは近現代文学を系統立てて読んだりして、「日本文学に関しては誰よりも読んでるぞ」みたいな自負がありました。卒論は、太宰(治)…じゃなくて三島(由紀夫)で書きましたね。
寺澤
:
今サラッと「卒論で三島を書いた」なんて言ってますけど、彼は最初、卒論を「創作にしたい」って言ってきたんですよ。もちろん「ダメだ、卒論は研究なんだから」と答えました。ただ「仮に創作を提出したとしても、それを研究対象として、客観的に解説したり調べたりするんだったらいい」と条件を付けたんです。そうしたらしばらく考えて「やめておきます」って引き下がって、その後しばらくして「三島で書きます」ということに落ち着いたんです。そもそも彼は卒論提出の前後に、「小説書いたから読んでください」って持ってきてたんですよね。文学部の学生、特に近現代文学を専攻しようとする学生の中には、小説を書いて「読んでください」と言い出す学生が時々いますが、後にも先にも、彼の作品は突出して良くできていましたね。
真藤
:
なんでそんなに先生に作品を見てもらったりしていたのか、理由をはっきり覚えてないんですけど(笑)。あと僕は映画が好きで。大学での思い出といえば、映画の撮影をしたことでしょうか。有志を募って、大学を舞台に刑事ものと学園ものを2本撮って、先生にも見せましたよね。映画サークルに所属してたわけではないただの一学生でしたけれど、教室の使用許可を大学が出してくれたことは、文教の寛容さを物語っているかもしれないですね。新人監督の登竜門だった「ぴあフィルムフェスティバル」にも応募したんですけど、結果は落選。だから今学生時代を振り返ると、ノスタルジーを感じるとともに、「うわーー」って叫びたくなるような恥ずかしい黒歴史が共存しています。大学生の頃って承認欲求の塊じゃないですか。それを先生は懐深く受け止めてくれた気がします。だから先生に作品を持っていったんでしょうね。僕が書いた小説をゼミの他の子たちに回して読ませて、その感想を添えて返してくれた時は、本当にうれしかったのを覚えています。
寺澤
:
やっぱり小説が面白かったから、そうしたんだよね。そこまでしたくなるような小説だったんだよ。
──真藤さんを育んだ文教大学は、どんな大学だと言えるでしょうか。
宮武
:
本学の建学の精神は「人間愛」ですが、どんな人も、その人として尊重して温かく慈しむ、という教育をモットーとしています。お二人の関係を伺うと、それが実践されていて、だからこれほどの近さみたいなものが生まれたのかなと思います。
寺澤
:
一般的に、大学の教員から学生一人一人のことにあまり口を出したりはしません。でも学生の方から相談などに来てくれるのであれば、自ずと近くなっていくものなんだと思います。ただ文教大学は、他の大学と雰囲気がちょっと違うところはありますね。良い意味で少し高校みたいなところがあって、「人を大事に育てたい」という気持ちが、自ずとこのキャンパスの空気に漂っているように感じます。
宮武
:
高校までの世界は狭いものです。確かにインターネットで世界中と繋がることができるとは言っても、それは小さな自分の世界の中でのこと。実際にいろんな人と会って、「世の中にはこんな生き方もあるんだ」というようなことを知ってほしいし、なおかつ授業を通じてもっと広い世界やさまざまな考え方に触れてもらいたい。社会に出る前に、大学という守られた世界の中でいろんな体験をさせてあげることが、大学の役割としては大きいのではないかと考えています。
真藤
:
やっぱり大学時代には、人生のこの時期にしかできない人との出会いや経験があると思います。
寺澤
:
コロナ禍で人と交われなくなった時期がありましたが、もし彼がそんな中にあって、大学で人と交わったり、小説を書いたり、映画を作ったりすることがなかったら、真藤順丈という作家や『宝島』という作品は生まれなかったかもしれないですね。それを思うとコロナの影響って本当に恐ろしい。だから逆に言えば、学生は多くの他人がいるところに出てきて、できるだけ密になって掻き回されれば掻き回されるほど、活気が出て、何か生まれてくるものがある。文教大学はそんなことが起こりやすい大学だと思います。
──今後、文教大学はどんなことを学生に提供する大学になっていくのでしょうか。
宮武
:
文教はもともと個を大事にするスタンスですが、少子高齢化が進む中でこれからさらに個々の学生に手をかけ、一人一人の能力を引き上げて、それぞれに突出した能力を持つ人を世に送り出すことができる大学になればと思っています。また地元と大学がお互いにプラスになるような活動をして繋がりを深めていきたいですね。例えば、文教で学び、文教の地元の人たちと交流したことで、大学のある“地元”の企業で働いてみたいとか、あるいは自治体に勤めたいとか、もちろん先生になるとか、そういう選択肢が生まれることもあると思います。そうした中で、若い力との良い相乗効果が生じて、地元が非常に活性化するかもしれないですよね。また学生にとっては、人と人との繋がりの中から自分の存在価値が高められたり、生きる喜びが感じられる人生が得られたりする。そんな良いスパイラルを生む人を育てられる大学にしたいですね。
寺澤
:
可能性の芽を潰さないということですね。私も真藤くんがこんな風に成長するとわかっていて、それまで接してきたわけではありませんので。本当に学生は何者になるかわからない、何が生まれるかわからないということを肝に銘じて、これからも学生たちと接していきたいと思います。
真藤
:
大学の4年間は、何か一つのことに集中して、それ以外のことは全く棒にふっちゃったみたいなことでもいいように思います。大学を出た後って、大概みんなボコボコにされるんですよ。僕もそうでした。でもその前に、仲間であるとか体験なりをたくさん自分の中に蓄積していることが大事。僕もたくさん本を読んで、小説を書いて、映画を撮って、日本文学を専門的に学んだことが、自分の下地というか、礎になりました。この大学での4年間がなかったら物書きにはなっていなかったと思います。社会でボコボコにされた時に、「それでも自分には文章がある、書けばいいんだ」と思うことができた。最後に頼れる自分の強みみたいなものを文教大学で見つけたのだと断言できます。
寺澤
:
生きていく力をもった強みだね。
宮武
:
学生たちみんなにそうあってほしいですし、強みを育ててあげたい、そう願っています。
