文教大学文学部から羽ばたいた直木賞作家 真藤順丈さん × 寺澤浩樹教授 対談―創作の原点から『宝島』へ

お話いただいたのは・・・



2025年10月18日、東京あだちキャンパスにて開催された校友※のための交流イベント「BUNKYO校友フェスタ2025」にて、『宝島』で直木賞を受賞した作家の真藤順丈さん(文学部日本語日本文学科卒)と、恩師の寺澤浩樹教授によるトークイベントが開催されました。学生時代の思い出から創作の原点、そして映画化された『宝島』に込めた想いまで、ざっくばらんな対談に笑いの絶えない心温まるひとときとなりました。
※「校友」とは、学園各校の在校(園)生、卒業(園)生およびその保護者、現役・退職教職員の総称です。
八木田
:
おふたりの出会いは、真藤さんが文教大学文学部の1年生のときだそうですね。まずは学生時代のお話から伺わせてください。
寺澤
:
彼が1年生の時に、私の授業を取っていたんです。今も少し変わった雰囲気をしていますが(笑)、学生の頃もいわゆる優等生という感じではありませんでしたね。ただ、授業にはきちんと出席し、話を聞いて、発表のような割り当てられた役割もしっかり果たしていました。
真藤
:
僕は真面目とはとても言えない学生だったと思います。ただその頃は映画監督志望だったので、校舎を舞台にした学園ものの映画を撮ったり、本をたくさん読んだりしていました。
八木田
:
大学時代からすでに映像や物語の世界に強く惹かれていたんですね。
寺澤
:
撮影した映像の録画テープを渡してくれたので、彼が私の家に遊びに来たときに「一緒に観よう」と言ったら、「それだけは勘弁してください」と逃げられたのを覚えています。自分で渡しておきながら、照れくさかったんでしょうかね。
真藤
:
一緒に見るのは嫌なんです。自分の作品を人に見られるのは苦手で、本でも同じです。読んでいる人の前にはいたくないですね(笑)。
八木田
:
大学時代にはすでに小説の創作を始められていたと伺いました。
真藤
:
そうですね、短いものをいくつか書いていたんですが、初めて少し長いものを書いて、ゼミの先生だった寺澤先生に読んでもらいました。ご好評をいただいたようですね(笑)。
寺澤
:
彼の原稿を初めて見たときのことをよく覚えています。原稿用紙に手書きで書かれたもので、筆圧がとても強く、字が大きく右上がり。しかも漢字がやたら多くて、まるでお経のようでした。でも、その字の形や雰囲気、そして文体のリズムに感心しました。間違いも少しあったので赤を入れて返したんですが、「ありがとうございます」と素直に受け取っていました。内容も面白かったですよ。
真藤
:
あの頃は覚えたての漢字をとにかく使いたくて仕方がなかったんです。本を読んで「この表現いいな」と思うと、すぐ取り入れる。だから漢字が多くて真っ黒な原稿になってしまっていたんですよね。
寺澤
:
彼は字や言葉に対する感覚が鋭くて、私の方が感心させられたくらいでした。初めての小説は荒唐無稽な話でしたが、最後に漂う情感がとてもよかった。設定は直木賞的だけど、情感は芥川賞的、とでも言いましょうか。私はその時、「君は賞を取れる、がんばりなさい」と言ったように記憶しています。映像的な描写も印象的で、映画を撮っていた経験が生きていました。
八木田
:
作家の方は1人で黙々と書いているイメージがありますが、作品を誰かに見てもらうということもされるのですね。
真藤
:
しますね。でもそれは、最初に書いたものを寺澤先生に見せて、それがすごくよかったからなのかもしれないです。他人に読んでもらって、その反応を含めた一連の体験を自分に落とし込んでいくっていうのは、やっぱりすごく大事。それを最初に先生がやってくれて、自分の書くものに効いて、すごくいい影響を受けました。
寺澤
:
彼の作品をゼミの学生にも読ませたんですよ。「真藤くんがこんな面白いものを書いてるから読んでみて」って。容貌が少し派手で、チャラチャラして見えたせいか、女子学生たちが彼に対して及び腰だったってこともあってね(笑)。
真藤
:
寺澤ゼミは女性が多くて、何を話していいかわからなかったです。でも、小説を読んでもらえるようになってから少しずつ声をかけてもらえるようになりましたね(笑)。
八木田
:
文学が人と人の距離を縮めるということを、まさに大学の教室で展開されたんですね。
八木田
:
では、代表作『宝島』のお話に移りましょう。2018年に発表され、直木賞を受賞されたこの作品は、戦後の沖縄を舞台にした壮大な物語として高い評価を受けました。まず、構想の背景を教えてください。
真藤
:
戦後のアメリカ統治下の沖縄を舞台にした20年にわたる物語です。生まれていない時代の沖縄を描くのは大きな挑戦でした。戦後史を小説で描くと、どの問題も最終的には沖縄に行き着く。沖縄を戦後日本の象徴として描きたかったんです。リアリズムに基づいた長編叙事詩のような、これまでになかった作品を目指しました。構想3年、執筆2年、死ぬほど大変でした。
沖縄の問題は現在も続いています。県外の人間が書くことに対して、覚悟が求められる。どのように沖縄の現実を受け止め、それを読者にどう伝えるか。その覚悟を固めるまでに時間がかかりました。

八木田
:
現代社会にもつながる重いテーマですね。
寺澤
:
人間が生きる理由や世界との深い繋がりが描かれることが、文学の中で一番いいなと思うところなんですけど、それが『宝島』でも描かれています。 “エタニティ”への憧れというのかな。それは彼の1作目にも通じる、彼の文学に通底するテーマだなと感じています。
真藤
:
そう言ってもらえるのは嬉しいです。『宝島』は「戦果アギヤー」と呼ばれる義賊的な人物が行方不明になり、20年にわたって探し続ける人々を描いているんですが、英雄の不在によって、人々がその価値を問い直していく、そんな物語です。沖縄の言葉に「ぬちどぅーたから」っていう「命こそが宝」っていう言葉があって、『宝島』を読んでいくと、この宝が何かっていうのがわかるような構造になっています。読んだ方が、自分にとっての宝がなにかを少し考えてみる、そんな作品になっていればいいなと思います。
八木田
:
そして『宝島』はついに映画化され、今年(2025年)9月に公開されました。
真藤
:
『宝島』の出版直後から複数の企画をいただいて、最終的に大友啓史監督のチームにお願いしました。何度も脚本が練り直され、最終的には3時間19分の映画になりました。オーディオブックを使うと、上下巻合わせて18時間の朗読になる長編を3時間にまとめたのに、ちゃんと原作の魂が残っている。監督も俳優もスタッフも同じ方向を向いて作り上げてくれて、感動しました。
寺澤
:
私は試写会を含めて3回観ました。難解な部分も多いけれど、何度も観ると深く理解できる。文学作品の映画化はとても難しいものですが、誠実に作られていると思いました。
真藤
:
映画は小説とはまったく別物ですが、映像の力が新たな感動を生んでいました。特にコザ暴動のシーンは、小説では描けない群衆の熱量が高く圧倒されましたね。監督の「原作に忠実でなくても誠実でありたい」という言葉に尽きると思います。
八木田
:
『宝島』は小説としても映画としても、多くの人に「命」や「自由」の意味を問いかける作品になりました。改めて、真藤さんご自身の思いを伺えますか。
真藤
:
「世の中を変えたい」という強い気持ちで、この作品を書きました。『宝島』の影響で、日米地位協定が改定されるはず、というくらいのつもりでいたんです。でも、なかなか現実は変わらないんですよね。今、続編も書いていますし、物語はまだ続いています。
寺澤
:
『宝島』の外伝的な作品、『英雄の輪 ―HERO’S ISLAND Another Story―』も出版されていますね。『宝島』の登場人物・ヤマコのその後などが描かれています。
真藤
:
今はさらに、沖縄戦と現代を並行して描く長編に取り組んでいます。太平洋をいかだで渡るような孤独な作業ですが(笑)、がんばります。

八木田
:
映画のエンドロールには「文教大学」の名も刻まれていますね。大学が製作委員会に名を連ねるのは珍しいと思います。
真藤
:
試写会で理事長先生がいらしたので、「何でいるんですか?」って思わず言ってしまったら、「文教大学も映画の製作委員会に入っているんですよ」と言われました。大学がそんなことをしてくれることに驚きましたね、今まであまり聞いたことがないです。
寺澤
:
文教大学は教育学部のイメージが強いですが、文学部からもこうした才能が育っている。中文科出身の高橋弘希さんの芥川賞に続いて、真藤さんの直木賞と、両方の受賞者を立て続けに出した大学はあまりないんじゃないでしょうか。文学部らしい卒業生を輩出できたことは非常に嬉しいですし、学生の人生の目標を叶えるような素晴らしい文学部であるという証拠がここにあるということで誇らしい限りです。
真藤
:
これからも文教大学卒業生として胸を張って、書き続けていきたいと思います。

文教大学で学生時代を共に過ごした友人たちと。トークイベント後に開催されたサイン会にて