
2023年、佐々木さんは5歳で弟子入りした津軽三味線奏者佐々木光儀氏の跡を継ぎ、二代目家元佐々木光儀を襲名した。
民謡好きの祖父母の影響で津軽三味線をはじめた佐々木さん。津軽三味線は好きだったものの、プロの演奏家になることは考えていなかったという。
「とはいえ津軽三味線以外に特にやりたいこともありませんでした。文教大学国際学部国際観光学科に進学したのは、旅行が好きという動機からです」
地元水戸から上京、「大学生活を謳歌していた」と言う佐々木さんの生活が一変したのは、大学3年生のとき。浅草の民謡酒場「和ノ家 追分」で働くことになったのだ。「追分」は津軽三味線の第一人者「吉田兄弟」の兄・吉田良一郎氏をはじめ多くのプロを輩出している民謡界の登竜門的存在だ。佐々木さんはこの「追分」で、民謡や津軽三味線を究めたいと切磋琢磨する仲間と出会い、津軽三味線一本でやっていく先輩たちの姿を目の当たりにして、「プロの津軽三味線奏者になりたい」と将来像が定まったのだ。
国際観光学科での学びも、佐々木さんにとって貴重な経験となった。
「研修やボランティアでさまざまな国に行き、視野が広がりました。所属した海津ゼミでは、地域の自然や生活文化などを『宝』として守り、継承するという概念を持つ『エコツーリズム』について学び、津軽三味線という伝統芸能に通じるものがあると感じました。海津先生はコンサートにも来てくださったり、ゼミの学生と『追分』を貸し切りにしてくださったりと、心強い応援団です」
大学を卒業し、いよいよこれからというときに新型コロナウイルスの感染が拡大。「追分」も営業自粛に追い込まれた。演奏する場がなくなり、先の見えない日々が続いたが、コロナ禍が明け二代目を襲名してからは、津軽三味線コンクール全国大会優勝、クウェートや中国での公演と一気に活躍の場が広がり、手ごたえを感じている。
「二代目を襲名するということは、師とともに生きること。責任も重くなります。本当に私でよいのか悩みましたが、津軽三味線を多くの人に伝えたいという思いは名前を継ぐことで決意へと変わり、覚悟を決めました。今はただ技術を磨くのみです」
佐々木さんが津軽三味線を手にするとスッと背筋が伸びた。全身から生みだされる重量感のある音色は、魂を揺さぶられるような迫力がある。寒さ厳しい津軽で生きていくための手段として発展し、根付いた音楽が持つ力なのだろう。
津軽民謡の伴奏としてはじまった津軽三味線だが、歌い手が減っている今、民謡も歌えるようになりたい、時代に合った新しい要素も取り入れたいと、さらなる高みを目指す佐々木さん。
「芸の道にゴールはない」とストイックに打ち込みながらも、津軽三味線に生涯をかけられる喜びが伝わってきた。
