
阿部節子さんが立正学園女子短期大学家政科を卒業し、管理栄養士として「東京老人ホーム」(西東京市)に就職したのは昭和33年のことである。同施設は名前が示す通り、年老いて一人暮らしで食事もままならない高齢者の方たちのための施設で、その歴史は関東大震災で罹災した高齢者を日本福音ルーテル教会が救済したことから始まっている。入所者は阿部さん曰く「生活保護の対象となる方たち」で、福祉という言葉はあっても行政の取り組みはまったく進んでいない時代、アメリカからの救援物資をもらい1日48円という食費で食事を提供するのが阿部さんの初めての仕事だった。ニワトリを飼い、畑で野菜を作り、工夫と苦心を重ねて作った食事は、入所者の方たちが「うちの食事はおいしい」と自慢するまでになった。
「体調を崩して病院に入院するでしょう。そうすると早くホームに帰って、ホームの食事が食べたいとおっしゃるの。同室の方たちに、ホームの食事のことを自慢気に話しているんですよ」
卒業を前にして、就職先は大企業の食堂からの求人もあったと言う。しかし「人の役に立つ仕事をしたい」と、自ら進んで選んだ職場だった。
勤めるうちに、阿部さんは思うようになる。施設ではなく、住みなれた地域で暮らし続けられることが幸せではないか……。そのために必要なのは「栄養バランスの取れた食事」を食べることができること。そうした思いを持って、活動を地域へと広げていく。食事づくりが難しくなった高齢者へ食事を届ける配食サービスを実施し、高齢者向けの料理教室も開いた。阿部さんが出した料理の本は何冊もあるが、その最初は『老人向き料理ノート』という、好評だった料理教室のレシピをまとめたものである。
「配食サービスは今でこそどの自治体も行っていますが、当時は全国に先駆けた取り組みでした。お年寄りのために働こう、お年寄りが健康で幸せに暮らせるようにと、必死にやってきました。苦しいこともたくさんありましたが、『神様に必要とされている、生かされているのだ』という思いで仕事に尽くしてきました」
阿部さんの功績は、厚生労働大臣表彰、東京都知事賞など、4つの賞を受賞していることでも量ることができる。70歳で武蔵野市高齢者食事学研究会の会長を後継に譲り、現在は名誉会長の職にある。また自宅では趣味で続けてきた茶道と日本舞踊の教室を開いている。「働いていた当時から残業はしないで、せっせと稽古に通っていた」と笑う。88歳を迎えた今、ますます輝いている。