
中島弘幸さんの指先で、トランプが生きているように動く。プロのマジシャンの鮮やかな手さばきに息を飲んだ。
中島さんのマジック歴は50年以上。マジック好きだった父親の影響で、幼稚園児のころから見よう見まねで行っていた。小学1年生の誕生日にマジック道具を買ってもらって火がついた。「お小遣いのほとんどをマジック道具につぎ込み、毎日学校から帰ると母親の鏡台の前で練習していました」。中学生になると、施設やアルバイトでマジックを披露していたという早熟ぶりだ。文教大学人間科学部を選んだのも、「マジックの役に立ちそうだ」と思ったから。入学後はマジックサークルを立ち上げ、マジックの実演販売で武者修行をする。その技とお客さんの心をつかむトーク術で、1日で35万円の売上を記録するほどに。
プロデビューは、大学4年。「なるほど!ザ・ワールド」に「トランプマン」として出演し、人気を博す。順風満帆を絵に描いたような経歴だが、下積みの苦労はそのあとやってきた。「テレビではやりたいことができない」と独立すると、舞台は華やかな世界から一転、温泉地の宴会場に変わった。「お客さまはマジックを見に来ているわけではありません。いかに興味をひくか、鍛えられました」。雌伏のときを経て、舞台は客船に移る。「目の肥えたお客さまに、どれだけ印象に残るかが勝負」と、さらに腕を磨いた。波に乗っていた時期に襲ってきたのが、コロナ禍だった。仕事はほぼゼロになったが、「立ち止まって、独自のマジックを追求する良い機会になりました」と、どこまでも前向きだ。「好きなことだから、苦労と感じたことはありません」。幸せそうに笑う。
こうしてクラシックな演目でありながら、客船で磨かれたエレガントさに加え、中島さんならではのメッセージ性を含有した唯一無二のマジックが完成した。リングを使って、人との出会いの大切さを伝えるのもそのひとつ。独自性を出すために、道具も自分なりにつくり変えるという。活躍の場はさらに広がり、今や押しも押されもせぬエンターテイナーだが、その地位に安住することはない。「マジシャンはアスリートと同じ」と、毎日の練習も欠かせない。「生活のすべてがマジックにつながっている」という言葉に、この道を生涯かけて究めようとする姿を見た。
これぞ天職と誰しも思うだろう。だが大学卒業時、親からはプロになるのを反対されたという。「当時はまだ芸人が軽く見られていました。そんなとき、人間科学部の恩師が『好きなことは何でもやりなさい』と背中を押してくださったのです」。個性あふれる先生方と出会えたと、大学時代を振り返る。精神科での病院実習も印象に残っている。「日本のお客さまはマジックを見ても感情を出されないことが多いのですが、患者さんはストレートに反応してくださり、新鮮な感動を覚えました」。心って何だろう。人間を見つめ直すきっかけになったという。
マジックを通して、たくさんのお客さんと向き合ってきた中島さん。「同調圧力に屈せず、自分の持ち味を社会に生かしてほしい」とメッセージを送ってくれた。それこそ、まさに中島さんの生き方そのものでもある。