
堀内さんにお話を伺ったのは、川崎ブレイブサンダース(以下川崎)クラブハウスの食堂。ここで選手に食事を提供している。「わたしたちのクラブハウスは食堂、個室、大浴場やトレーニングルームもありBリーグクラブの草分けです」と胸を張る。
堀内さんがスポーツ栄養に興味を持ったきっかけは、高校でサッカー部のマネージャーを務めたこと。選手のさまざまな悩みに、食事や栄養管理でサポートできると気付いたのだ。将来はスポーツ関係の仕事をしたいと考えていたとき、新設された文教大学健康栄養学部でスポーツ栄養が学べると知り進学を決めた。
しかし、スポーツ分野の管理栄養士は狭き門。卒業後は認証保育園に就職し、独学で保育士の資格も取得した。担任をしながら献立作りから調理まで担い、発達や咀嚼、消化機能なども学んで子どもの心身を総合的に把握、腕を磨いていった。
一方でスポーツ栄養を仕事にしたいという夢は捨てなかった。大学時代の恩師には、機会をとらえて「スポーツ栄養をやりたい」と公言し、スポーツ栄養学研究会にも参加。
諦めずに研鑽を積んでいた堀内さんにとうとうチャンスが巡ってきた。堀内さんの献立を評価した恩師が、川崎のインターンを紹介してくれたのだ。スポーツ栄養の扉が開いた。堀内さんは保育園との二足の草鞋生活をこなしながら、コンディショニングスタッフの一員として選手を支えた。
その働きぶりが認められたのだろう。さらに大きなターニングポイントが訪れる。
「帝京大学の教員として強化部選手の栄養サポートをしないか」と、恩師と川崎のインターンでお世話になっていた師匠の管理栄養士の双方から声がかかったのだ。
しかし、責任感の強い堀内さんは正規採用でスポーツ栄養士になれるという大チャンスを目の前にしても、新卒から務めた保育園を辞めることに迷いがあった。川崎でのインターンのかたわら、本業では保育園の管理栄養士としての勤務を続けていたのだ。
決断しきれない堀内さんをみて、師匠が「もしこの話を断るならスポーツ栄養自体を考え直したほうが良い」と背中を押した。危うく自分で扉を閉めてしまうところだったと気付かされた。
保育園を退職し、晴れて帝京大学スポーツ医科学センターの管理栄養士になった堀内さんは、大学生を相手に栄養のアドバイスをすることの難しさに直面する。夢だったスポーツ栄養の世界だが、「過酷だった」と振り返る。
担当していたラグビー部の学生たちは堀内さんの言うことなど聞いてくれない。食堂で一人泣いたこともある。指導法を顧みた堀内さんは、選手が反抗するのにも理由があると考え、対話しつつ思いを汲み取るよう心掛けた。「周りのスタッフにも助けてもらい、次第に受け入れてもらえるようになりました」。
そして2年前、帝京大学ラグビー部と並行して川崎の管理栄養士にも就任した。選手の食の環境整備、体組成管理など身体づくりのサポートが中心業務だ。
「同じスポーツ栄養でも、ラグビーとバスケットでは違う身体づくりが求められている」と言う。
大学ではテニスサークルに所属し、バイト先のスポーツ店では多様なスポーツにかかわった。恩師や刺激し合える同級生の存在、すべてが今に生きている。
そして何より、「私はスポーツ栄養がやりたい」と声を挙げ続けたこと――。
「コーチやトレーナーから情報を得て選手の心身を把握しながら、選手の悩みや課題に対して栄養の観点からアドバイスし、それを習慣化することでパフォーマンスを発揮できる。それがチームの勝利につながったときは管理栄養士冥利に尽きます」。
昨シーズンは試合に勝てないことも続き、悔しい思いもした。それでも管理栄養士としてやることは変わらないと前を向く。
まもなく新しいシーズンが開幕する。