
文教大学付属溝の口小学校(旧立正学園溝の口小学校)校友会の会長を務める飯島悠光さんは、立正学園溝の口小学校(以下、溝の口小学校)の1期生です。溝の口小学校に入ったのは、4年生のとき。「それまで別の私立小学校に電車で通っていたのですが、3年生のときに父親が亡くなり、近くに溝の口小学校ができたので転校しました」。開校したばかりだから校庭が草ぼうぼうで、授業中に草むしりをしていたことが溝の口小学校の一番の思い出だと笑う。クラス全員といっても、男子11名、女子5名とごく少人数だった。「小学校は家族、先生は親のような存在でした」と振り返る。
「家族のよう」というのは、飯島さんの実体験でもある。先生方は帰りが遅くなると、商売をしていた飯島さんの家で風呂に入って帰っていたという逸話には驚かされた。それほど先生の帰りが遅くなったのも、子どもたちの面倒をとことん見てくれたからだ。「中学受験を控えた5年生の後半から6年生の間は、毎夜遅くまで勉強を見てくれました。お腹がすくので、先生が自腹でそば屋の出前を取ってくれて、それが楽しみだったなぁ」と相好を崩す。
その後、溝の口小学校は昭和60年に閉校。跡地は川崎市立高津図書館と公園になり、公園には溝の口小学校を記念したモニュメントが建つ。飯島さんの自宅からほど近いこともあり、溝の口小学校は飯島さんとともに生き続けている。同級生は地元の人がほとんどだったので、今も町会や商店街などのつながりで顔を会わせる機会も多いという。「溝の口小学校の隣には公立小があって、公立に行った人たちからは『溝の口小学校に行ったのはお坊ちゃんやお嬢ちゃんばかりだった』とからかわれますが、そんなことはない。うちは親が商売をしていて忙しかったので、私立なら面倒を見てくれるから安心と思って預けたんだよ」
親の判断は正解だったと思っている。先生方の根底には、現在の建学の精神「人間愛」の基となる精神(心)が貫かれていた。「先生方はお寺の関係者が多かったこともあって、人に対する優しさや思いやり、感謝の心を私たちに植え付けてくれたと思います」。子どものころに身に着けた教えは、今も根付いている。
それだけに、存命する恩師が少なくなっているのが寂しいと明かす。それとともに、溝の口小学校校友会としての活動も求心力が落ちているのを感じる。コロナ禍前までは2年に1回、校友会総会を開催していたが、コロナ禍後は住所がわからなくなり連絡がつかなくなった同窓生が増えたという。
「1期生の私たちはすでに80代。最後の29期生は50歳です。本当は50代から60代の同窓生に校友会を引っ張っていってほしいのですが、仕事で忙しい年代でもあります。さらに沿線から通学していた人も多く、地元にいる人が少ない。同窓生をまとめるには、今が一番難しいところだね」
溝の口小学校が閉校して40年。校友会を維持継続するのは簡単ではないが、希望も持っている。「学園全体として、『文教は頑張っている』と評価が高まることが卒業生としては一番の喜びであり、誇りです。だから、文教大学学園が発展しないと困るよ」。期待と激励を込めてそんなメッセージを送ってくださった。誰もが母校への想いは少なからずあるはず。この記事を読まれた溝の口小学校卒業生は、ぜひ校友会に連絡してほしい。

