
群馬大学教育学部美術専攻課程で学び、その後、東京藝術大学大学院へ進んだ高田先生。「絵を描くこと」と同時に、「なぜ人は表現するのか」ということにも強い興味があったという。その後、まだ黎明期だったコンピューターグラフィックスに出会った。
当時、日本でCGを扱える環境は限られていて、大型コンピューターを使う研究者たちはまさに最先端の存在。最初、「コンピューターだけで本当に芸術ができるのか」と半ば反論する気持ちでその世界に近づいた。しかし、実際にプログラムを書いて作品を作ってみると、そこには手描きとは違う魅力があり、気づけば自分自身もCG研究の世界へ入り込んでいた。
文教大学の情報学部は日本で最初に開設された「情報学部」で、芸術だけでなく、情報技術を専門とする教員や学生が集まっていたので、「ここなら先端技術と芸術が本当に融合できるかもしれない」と感じ、文教大学で教員となった。
実際、設備環境には非常に恵まれた。放送局レベルのスタジオや編集設備はもちろんのこと、CGやサウンドなどクリエイティブ系に向けた本格的なPCが多数配備され、立体映像や実験的な映像制作にも挑戦できた。学生たちと一緒に3D映像を制作し、外部展示やイベントにも出展した際には、他大学の研究者や学生から驚かれることも多かったという。
授業では学生たちに、「これから先は君たちのアイデアが勝負の鍵になる」とよく話していた。しかし自身の経験上、根を詰めすぎても疲れるばかりでアイデアなど浮かばないので、「難しいと思ったら休憩してもいいんだよ」とも話していたという高田先生。「とにかく、やる気だけは失わないでほしいと願っていました」
退職後も作品の制作を続けており、現在は亜細亜美術協会の理事長として従来のファインアートの領域における共創活動に携わりながらも、一方ではデジタルアートや先端的なメディアアートの探求にも挑戦している。CGと出会ったおかげで、時代が変わっても新しいものに興味を持ち続けられている。
「もちろん、技術はどんどん進歩しています。今ではAIが画像を生成し、誰でも高度な表現ができる時代になりました。でも、だからこそ大切なのは、自分は何を表現したいのかを考えることだと思います。道具が進化しても、創作の根っこにあるものは変わりません」と話す。
文教大学で学生たちと過ごした時間も、そうしたことを一緒に考え続けた日々だった。教える立場ではあったが、実際には自分自身が学生たちの若い感性とチャレンジ精神から多くを学ばせてもらっていたのだと思う。高田先生は、文教大学での日々をそう振り返る。