1970年に立正女子大学短期大学部に赴任してから、38年間、ずっと短大一筋でやってきました。短期大学というシステムは、僕は非常に意味があると思っているんです。4年制大学に通う学生の中には遊んでいる人もいるけれど、短期大学は2年間で教養と専門性を身につけ、自身を豊かにして世の中に出ていくというスタイル。これは非常に健全だと思う。それ以上勉強したかったら4年制の大学へ行けばよい。入試部長をしていた頃、高等学校へ行って随分そういう話をしました。それを理解してくれる先生も多かったのを覚えています。
僕の専門は哲学と宗教であり、授業はアカデミックなことよりは、人間の生き方を誰もがわかる言葉でもって講義することに重きを置いていました。それを深めていくと、理性とはどういうことか、感情とはどういうことか、道徳とは? 宗教とは? というテーマにつながっていくわけです。有名な哲学者がどんなことを言ったのかを暗記させるのではなく、全部僕自身の言葉で話をし、「ものを考えるということは、どういうことなのか」ということを中心に講義しました。哲学や宗教というのは、そもそも人間の生き方を勉強する学問です。その時に自分の頭で考える、あるいは日々の生活について反省してみる。それは非常に大切なことなんですね。
現在も湘南キャンパスで、一般の方たちを対象にした公開講座を持っています。校舎へ行けば知っている顔がいくつもあって、文教は第二のホームみたいなものですね。振り返れば、東西ドイツが統一した翌年の1991年から1年間ドイツ・テュービンゲン大学で研修させてもらうなど、自由な雰囲気の中で学生たちと接し、仕事をしてきました。そして退職した今も、哲学、宗教について考え、勉強しています。そう、原点は自分で考えるということですね。大半の人は勉強するというと、哲学者が何を言ったかとか、そうしたことにこだわるわけです。しかしもっと先にあるのは、自分はどう考えているのか、ということですよ。それがまずあって、その後で先人たちの残した言葉や思想に触れてさらに考えを深めてみる。この歳になってそう確信を持つようになり、気持ちがスッとしましたね。
考える、勉強する。よく、どこから手をつけたらよいかわからないと聞かれます。まずは関心のあることに取り組んでいくことじゃないですか。本を読むなどして、関心のあることを突き詰めていく。しかし多くの人は、関心を持つこと自体を忘れてしまっているんじゃないかな。日常に流されてしまって、自分はこういうことに関心がある、こういうことについて考えてみたいと思うことすらなくなっているのかもしれません。週に10分でもいいから、考えたり、自分を振り返って反省したりする時間を作ることが必要だと思いますね。