あやなりBP

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2022年7月掲載
栗山 さえ 先生

栗山 さえ 先生

(文教大学付属中学校・高等学校/1973年〜2014年在籍)

「体験」を通して理科の面白さを伝える

 文学好きだった少女が、いつしか理科の先生に。そのきっかけは高校時代にあったと栗山先生は振り返る。「化学の授業中に集中していなくて、先生にひどく叱られたことがありました。勉強をサボッた私が悪いといえば悪いんですけれど、とても悔しくて。それ以降一生懸命勉強したら、得意科目になりました」
 理学部に進んだ大学在学中に、家庭教師で子どもたちを教えたことが楽しかったという経験が背中を押し、教師の道を歩み始める。
 「理科離れ」という言葉が登場して久しいが、教師として実際に生徒と接してみると、「実験は好き」という生徒が多かったという。そこで実験の時間を確保し、実際に手を動かすことで理解につなげられるように努めた。「教科書にある実験をさらに拡張させたりして、いろいろな『体験』ができるよう工夫しましたね」

生徒たちの「伸びる力」を信じて

 授業以外の場面でも、生徒が体験によって成長する姿を目の当たりにしてきた。特に思い出深いのは、文化祭でのこと。ある年に実行委員長になったのは「彼女には荷が勝ちすぎているんじゃないかな」と感じられるような生徒だったという。「それが、委員長をする間にみるみる頼もしく変わっていきました。勉強も大事だけれど、学校行事をやり遂げることも生徒をこれほど成長させるんだと感じたできごとでした」
 演劇部や体操部の顧問も担当。「演劇部では演出家のような役割で、生徒とともに作品をつくりあげていました」と、「教師とはこういうもの」というイメージにとらわれず、生徒との時間を紡いだ。
 「退職後の今でも、ふと『あの子はどうしてるかな』と気になることがあります」。教え子が出演する発表会を観に行ったり、ともに食事をしたり。交流は今も続いているという。

今も教師として、教え子とのつながりを大切に

 退職後、数年のブランクを経て、“教師”に返り咲いた。
 「外国人に日本語を教えるボランティアをしています。自治体が主催する学びの場に参加したのがきっかけです」。日本語の学習を支援する方法などを学び、現在は2つの教室で日本語を教えている。「生徒はアジア圏の人が多いのですが、日本育ちの私とは異なる文化や価値観に触れることができ、世界は広いということを実感しています」
 母国に戻った教え子たちともオンラインで交流を続けている。「コロナ禍が終息したら『一緒に旅行しよう』と盛り上がっています。また会える日がとても楽しみです」

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    • 栗山 さえ 先生
    • くりやま さえ
    • 1973年文教大学付属中学校・高等学校に就任。理科(専門は化学)を担当するほか、演劇部や体操部の顧問を務める。2014年に退職。現在は日本語を教えるボランティアに参加する。
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